2008年6月12日木曜日

風間完の絵について

                     企画展パンフレットより(図17)

風間完の名前を初めて知ったのは、確か、安野光雅の『絵のまよい道』(朝日新聞社 1998年)を読んでいたときだ。安野が「作風が大好きだ」という、この画家のことが知りたくて、いろいろ探してみたのが今から5、6年前のこと。
挿絵画家として活躍していた画家の風景画に興味をもって著作や画文集など集めた。美人画もとても魅力的だが、なぜか風間完の描く「町並み」や「港や川のある風景」に魅かれてしまう。鳥の視点に立って俯瞰するような、広がりのある風景画を眺めていると、なにか自分までもその一部になったように感じてしまう。
その風間完の挿絵原画展が、信州の上田でやっているというので6月8日の日曜日に出かけてみた。風景をモチーフにしたのは数点しかなかったが、それでも原画でみる筆致は実に美しく、その絵にどんな技法が込められているのかと引き込まれるような迫力があった。髪の毛の間から地肌が白く透けて見えるようなその輝き、背景の山や林を鉛筆やコンテのぼかしで表現している奥行きのある画面、はっとするような切れ味の良いコンテの漆黒の線、など、原画でなくては味わえないようなものを目の当たりにできた。
この企画をした「池波正太郎真田太平記館」も近くにあるので、そこにも立ち寄ってみた。風間完が挿絵を描いていた関係で、親交のあった二人のようだが、ここでは挿絵原画が蔵作りのギャラリーに常設展示されている。
風間完の『エンピツ画のかすすめ』の「才能について」という一説に、次のようなところがある。
「(どんな人にも)・・・他人に無い自分だけの眼、他人には見えないが自分だけには見える、というものを何かしら持っているものなのです。絵の才能とは、つまりそれのことだと私は思うのです。・・・大切なことは、それを画面に少しずつでも定着させていくときこそ、その才能は発揮されたということができます。絵を描く人は無口でよいのです。作品をつくることが一つの表現、つまり言葉なのですから。・・・喋るより、どれだけ描けたかということしかありません。そしてたとえほんの僅かしか仕事が進まないにしても、その量で差別されることは、この世界にはないのです。」
長くなってしまったが、「絵の素材、モティーフのすべてのものに先ず友情(愛情)をもって」わたしも、「こつこつと自分の道を歩いて」いきたいものだと、思います。  
 
  風間完さし絵原画展  平成20年5月29日~6月29日 
  長野県上田市・旧石井鶴三美術館  午前10時~午後4時(水曜日休館)
  主催・問い合わせ先/ 池波正太郎真田太平記館tel 0268-28-7100